箒とちりとり

ご乱心の自主回収

旅人のラヴレター

 

The traveling show TOUR 2023 “モナリザ”完走、本当におめでとうございます。

 

本当はモナリザ(曲)がリリースされたあたりでもう一度文章をしたためたかったのですが、暮らしに追われているうちに気がつけばモナリザ(すべて)を噛み締めて抱きしめて日夜泣いている人になっています。

 

福岡・東京共通でセトリはこう。

The Birthday Song

ROSE

Seven Seas Journey

Luz

Door

モナリザ

RAINBOW

Borlder line

The Traveling Show(must go on.)

 

諸々はゴスブロにあるのでゴスブロを読んでください。

最初に物語に光が当たったときから大事にしすぎてて、物語を共有していることを前提にしかまだモナリザのことを書けないので…。

 

初演は1曲を経るごとに首を横に振ってむせび泣いて時間が経つことを拒みたくなるような、ずっとこの物語の中にいたいのか、物語が進んでいくことを惜しんでいるのか、未分化のものが形を得ないまま、その場で受け止めきれない感情の大きさでずっといっぱいいっぱいになっていました。

 

ただ、The tTaveling Show(must go on.)で安岡さんが会場全体に、客席のひとりひとりに手を振り始めたとき。しっかり目があって、手を振り返したとき。

 

「ああ、この人はまた旅に出ていくんだ」

 

と、”モナリザ物語”の中ではいつになくファンに、観客に近いところで物語を聞かせてくれていた人が吟遊詩人であることをひしひしと思い知らされました。

 

それから、とても寂しいとも。

 

今までにないくらい近いところに来てくれたのは、一緒にコロナ禍を乗り越えてきたことを、あの頃のさみしさやもどかしさを分かち合って、一緒に溶かし合うためで。肩を並べて同じ窓で、同じ光を見つめていた束の間の時を、窓のある部屋を出て、「行かなくちゃ」と歌いながら、この人はやっぱり旅立っていくんだと。

 

旅芸人である安岡さんが、ゴスペラーズが好きだし、G25ツアー前の、海外集いやゴスフェスや高崎で、全国の街へ旅に出ていくゴスペラーズをゴスマニが見送るような、背中を押して送り出すような、あのとき組まれていた物語もすごく好きなんですよ。そこにはさみしさは全くなくて、でも、モナリザの物語を語り終えて旅立っていく人を見送るのはとてもさみしかった。

 

大抵の場において”ユタカ”を魅せてくれてきたし、ゆたソロも長らくユタカと安Pとドリー兄さんを見てきたのに、モナリザの物語を歌っている人があまりに安岡優さんだったから、近いところで触れられた気がしたから、また鞄の中にすべてを仕舞って旅に出るんだと、離れていく人の影をさみしく思ったんでしょうね。

 

「行かなくちゃ 行かなくちゃ」と歌いながら、下手から上手へ歩みながら、その足取りに躊躇いを滲ませるような表現が感情をより加速させるし……。

 

モナリザって「終わったばかりの旅を振り返」る物語なんですよね。あの閉塞感と不自由の中で藻掻いてた日々も「旅」に含んでくれることに救いを感じながら、振り返るための物語の先には必ず新しい旅があって、そのための旅立ちがある。

同じ窓から木漏れ日を見つめる時間は必ず終わるのだと、さみしさを抱えて窓の外へ出ていかなければならない切なさは、とても綺麗に見えるんですよね。

 

だから、モナリザの物語はまるで吟遊詩人のラヴレターだと思っていました。

 

そんなさみしさもありながら、けれど、やっぱり、ストーリーテリングがとても緻密で、物語をなぞるほどに、美しい絵を見せてもらったなあと、まばゆい気持ちになります。

前回ブログ然り、筋書きが綿密で、伏線の光るタイミングも絶妙で、物語の構成としていつも大好きなんですよね。鑑賞中は不可逆の、流れていくものに身を任せるしかない中でたくさんの宝物を見つけていけるような、宝探しみたいな脚本。好きとしか言いようがない。大好きです。

 

そしてMCでも話されていましたが、ほとんどコロナ禍前の昨日にも関わらず、モナリザの物語に寄り添う曲たちは、今までと全く違う景色を見せてくれたんですよね。

 

以下、8月9日に長々としていたツイートのまとめです。

 

たとえばSeven Seas Journeyは“わたし”の道のりの先にいる“あなた”の未来を祈るための歌として生まれただろうに、“わたし”と“あなた”の過去を慰める歌になってて。

Luzは…Luzのままの景色で、対光反射の話ではあるんだけど、「もう一度抱きしめたいけど」に重心が置かれたのは初めてで。

Doorなんて本当に次の旅へ繋がるためのドア=終わるための歌として歌ってたのに、“あなた”にまた逢うための歌になってて。Luzを受けてのモナリザの「抱きしめるから」が、ドアを開けた先で触れ合える愛の手触りが鮮明で、RAINBOWなんてアカペラで歌う仲間のための歌だったのが、同じ苦境を乗り越えたわたしとあなたの詩になってるんですよね。RAINBOWの歌詩は絶対にファンに向くことはない感情の歌だと思ってたから、あの、……本当に……。

そしてBorder line。いつの間にか越えてしまう境界線の話だった曲が、あの………「この世界はひと続きの街」「自分とよく似た誰かが手を振る」「向こう側で僕が誰かに微笑む」で、正対するモナリザ(白)の裏側には反転したモナリザ(黒)がいて、違うようでよく似ている表裏一体/鏡写しの“わたし”と“あなた”に境界線などないと言いたいんですか?と白衣装1stで思ってたら2ndが黒衣装でグラスが世界観を表現しているという話、ホントすぎじゃん…透明なガラスに刻まれた絵の裏表はひとつの絵であるから、あなたが歌にしたわたしの肖像は同時にあなた自身の肖像でもあるということが、正対する絵と反転した絵で昼夜の衣装を替えてきたところで確信に変わってしまい…結局のところモナリザの物語はコロナ禍において同じ気持ちをずっと共有してきたことへの手厚すぎる労りなんだけど、だからこそ、直接触れて、声を重ねて、見つめあえる時間が喜びであると懇切丁寧に歌われてしまうとラブレターが重すぎて困っちゃうわけで…。

でも、旅芸人はアンコールの曲で旅路に戻る。

The Traveling Show(must  go on)、モナリザ歌唱前のナレーションが「あなたの微笑みも眼差しも、静寂も物語にしよう」だったけど静寂だけはモナリザの歌詩にはなくて、それはtraveling showの「静けさに背を向けて旅に出よう」にかけるための伏線ってワケ……。

静かな苦境の先で愛を告げた後は「喜びも哀しみも全部歌にしてしまう」吟遊詩人は、「拍手も歓声も鞄に詰めて」旅へ戻っていくんだろうな。

来年客席はいつもの客席を客席という総体の概念として愛を捧げる人に戻るのかなと…。

 

そして、“わたし”と“あなた”が表裏一体であった物語って、架空の主題歌のThe  Traveling Show(must go on.)の回の「鏡合わせの我が人生」にも通ずるんですよね。

向かいの誰かを見つめることは、その中に映る自分を、自分の物語を見つめることに繋がっていて。瞳の中に映った光を、与えられた光を、まっすぐ照らし返す時間がライヴの中にあったのではないでしょうか。

 

本当に、モナリザの物語に溢れた愛が好きすぎて。

舞台バラードが聴こえるを一生反芻して生きてる人生をさらに彩られ、照らされているなと思います。

 

好きです以外に返せる言葉がいまだになくて、描かれた絵を後生大事に抱えていくんだろうな。

 

改めて、The Traveling Show Tour2023“モナリザ”完走おめでとうございます。

ゴスペラーズの旅も、来年のひとり旅も、この先続いてくすべての坂道で、愛すべき拍手と歓声に出逢えますように。

少しでも多く、その輝く瞬間を見つめていきたいと願いながら。

 

旅芸人の歩みを、紡いでいく物語を、ずっと楽しみにしています。